鉄仮面の顔に期待するもの

                          


 鉄仮面、つまり、三十四年間も仮面で顔を覆われながら、厳重に他者との接触を監視されつ
 つ、死に至るまで幽閉されていた謎の囚人については、すでに二百年もの間に千を越える論
 文と二十二の結論が出ているという。

 フランス史上、これほど不可解で、怪しく、人々の好奇心を煽りたてるような謎はない。鉄仮
 面研究家は、歴史家に限らず、小説家やジャーナリストや宗教家や軍参謀部の将校など様々
 な分野の人々が、それぞれのやり方や感覚で研究発表しているのである。



 しかし、すでにフランス王家などというものもなく、この鉄仮面の正体が誰であろうと、まったく
 どうでもいいことであり、そんなどうでもいいことに様々な人が論文を発表し、むきになって論争
 を展開しているのであるから、なんとも微笑ましいことである。
  

「鉄仮面」はデュマの小説はもちろん数々の映画にもなっている・・・


 歴史上で、この鉄仮面のことを世間に広めた最初の人物は、あの哲学者で歴史家のヴォル
 テールだった。彼は、仮面について、少々悲劇性を誇張しようと、ビロードのマスク程度のもの
 を、騎士の兜のような大袈裟な仮面として表現し、以来、マスク・ド・フェール、つまり鉄仮面と
 人々は呼ぶようになってしまった。

 事実はもう少し被り心地の良い仮面(マスク)だったのだ。しかし、重要なのは、この仮面とい
 う点である。この謎のすべての鍵が、仮面にある。



 秘密とは、隠されるものであり、真実は隠された部分にある。仮面とは顔を隠すものであり、
 真実は、顔なのだ。

 そんなことは、この問題の基本の基本だと誰しも思うだろうが、不思議なことにそれがそうで
 もない。歴史家の論文の多くが、色々な人物を推定し、あるいは断定し、唯一の問題点として、
 その人物が仮面をつけなければならなかった必然性をあげているのだ。

 そして自分の説の論拠の確かさをくどくどと強調したあげくに、仮面の問題となると、それは
 苛酷な刑罰の一つだとか囚人自らが望んだものだとか、お粗末な一文を添えている。なぜ、歴
 史家たちは、そんな奇妙な考え方をしているのか?

幼少期のルイ14世

 それは、この仮面の囚人について、あのデュマの「鉄仮面」を始め、多くの小説が出ており、
 小説家たちは当然のこととして、仮面の正体を、国王ルイ十四世の双子の片割れとして描いて
 いるからだ。

 フィクションならばいくらでも想像は許される。皆が皆、ブルボン王朝の栄華の極みにいる弟
 と仮面を被らされ暗い牢獄に閉じ込められた兄とのコントラストに涙した。そんな小説家たちの
 勝手な想像によって、さも真実のごとく広まった「鉄仮面」の正体について、考証学を基盤に厳
 格な推論を展開していくプロの歴史家たちは、皮肉な笑いをたたえながら、「史実に基づいて
 私がひとつ真実を教えてやろう」とばかりに研究を始める。



すでにその時点で、方向はロマンティックな「双子の片割れ説」の否定へと向かう。


 これはある西洋史の博士から聞いた話だが、学位論文など奇抜な発想と従来の定説の否定
 を武器に売名行為的に書かれる場合が多いらしい。つまり、真実の探求よりも、世間をあっと
 言わせて名を売ることが目的だということだ。

 
...........................................Marcel Pagnol...........................................................謎の囚人

 ある見解を否定するためには、その見解の否定に役立つ文献しか取り上げない。鉄仮面研
 究家のパニョルも、作家としてこの研究に取り組んで、歴史家たちのそんな姿勢に驚いてい
 る。同一の文献や史料を参照しているにもかかわらず、自説に都合の悪い内容は見て見ぬふ
 りをし、引用するのにふさわしい部分だけひっぱって掲載しているというのだ。

 このような風潮であれば、歴史家先生たちのニヒルな味のある「これが史実だ」的な論文が、
 強引で無理矢理な説を唱えているのも分かる。

 有力なところでは、宮廷の問題児で国王を悩ませたボーフォール公爵や国王が愛妾に産ま
 せた子だがやはり素行に問題あったヴェルマンドワ伯爵の説。これらは彼らの死因が戦場で
 あり、明確さに欠ける点があるから生まれた説だろう。マントヴァ公爵の大臣マティオリ伯爵説
 や放蕩貴族ドージェ・ド・カヴォワ説。これらの人物登場のきっかけは、名前に由来している。
 件の「鉄仮面」は、公式文書の中や死亡証明書の中で、類似した呼び方をされているからだ。

         
Francois de Bourbon-Vendome, duc de Beaufort.Louis de Bourbon, comte de Vermandois

ルイ15世ルイ16世


 ところが、この「鉄仮面」の謎については、歴代の国王ですら関心があったらしく、王妃マリ
 ー・アントワネットにせがまれた夫ルイ十六世も、この王室の秘密を知っていた最後の国王、
 父ルイ十五世にせっついて真実を聞き出そうとしたが、「ひどく悲しい思いをするだろうから」と
 拒否されているし、当時の国務長官クラスの者たちは秘密を知っていたが、その最後の生き
 残りだったシャミヤールも、臨終の床で女婿ラ・フイヤード元帥からひざまづかれて秘密を明か
 してくれと懇願されたが、口外しないと誓ったことだから言えぬと拒絶した。


Louis d'Aubusson, duc de La Feuillade

 マティオリやカヴォワなどといった小者を、絶対権力者ルイ十四世が、五十億フランもの経費
 を使って生涯牢獄に閉じ込めなければならないのか?

 大臣をも場合によっては公然と密殺した王室が、生かしたまま、専属の司令官に見張らせ、
 巨費を投じて養ったのである。二重スパイ(マティオリ)や宮廷の問題児(カヴォワ)などにどうし
 てそこまでするというのか?


Michel Chamillart

 そして、ルイ十五世が息子にすら口を閉ざし、陸相シャミヤールが沈黙を誓わされていた鉄
 仮面の正体が、こんなケチな小者だったというのか?

 そして、そう、何よりも、監獄の副官や牢番、そして移送時においては田舎の百姓たちにすら
 顔を見られぬよう厳重な命令が下されたのだが、こんな連中の顔を隠してどうなるというの
 か? 

 マティオリ説を唱えたトパンは、この人物、つまり他国の大臣で、ルイ十四世と自分の主君マ
 ントヴァ公爵の取引を仲介しつつ双方をだまして巨額の金をねこばばした破廉恥な男を、ルイ
 十四世が個人的な復讐心から非合法に逮捕(他国の官僚を捕縛するのだから)し、投獄した
 ため、その事実をルイ十四世自身が世間から、そして歴史から隠匿するために、厳重に幽閉
 したのだと結論づけている。

 そして仮面、それは、確かにイタリア人たちが仮面舞踏会で用いるようなビロードのマスクだ
 ったかも知れないが、このイタリア人のマティオリはそれを望んで着用していたのだ、といとも
 簡単に説明してしまう。

パニョルの「鉄仮面の秘密」

 カヴォワ説のトンプソンは、絶大な好評を博したパニョルの著作「鉄仮面の秘密」(ロマンティ
 ックな国王の双子説を史実に即して推測した)を作家の奇想天外な想像力と言わんばかりに
 批判し、このカヴォワという貴族を鉄仮面の正体だとする。

 家族の者からも、宮廷からも、手に余った放蕩者だったこの名家の若殿(名家といっても公
 爵家ではないし、宮廷貴族としては二流の家柄だ)が、重大な犯罪に関与していることが露見
 したが、この男を抹殺するにはルイ十四世には弱味があった。そこで家族の同意と、弟ルイを
 当主として侯爵位まで授け、カヴォワ家の安泰を約束した上で、この問題児を終身投獄するこ
 とにした。


....................................ルイ13世...............................................アンヌ王妃...............................................王弟ガストン

 その国王の弱味とは何か? それは、ルイ十四世の出生の秘密にあるという。つまり、父王
 ルイ十三世は王妃アンヌとの交わりをいつまでも避けており、世継ぎの確保の問題に困り果て
 た宰相リシュリューは、一計を案じ、自分の親衛隊の隊長をしていた強靭な男フランソワ・ド・カ
 ヴォワを今でいう代理パパのような役目に任じ、王妃に身ごもらせた。王座を王弟ガストンに
 奪われては何の権力もなくなる王妃も、この計画に同意、夫ルイ十三世も、まったく結婚生活
 二十二年、何の関心ももてなかった王妃が、聖母マリア様の奇跡よろしく勝手に懐妊して、世
 継ぎを産んでくれるというこの奇策に乗ってくる。

 そして産んだ子供がルイ十四世。

 
......................................................リシュリュー宰相.....................................アンヌ王妃とルイ王子

 名誉な役目を果たしたカヴォワには自分の妻との間に何人か子供があり、その一人が問題
 児ユスターシュ・ド・カヴォワで、つまり国王とは異母兄弟の仲というわけで、この王室の秘密、
 つまり正統なブルボン王家の血をひかぬ不義の子が王位についているという重大な秘密を握
 る一族ということで、カヴォワ家は大事にされ、問題児ユスターシュは、秘密を握る男としては
 いささか危険だが、異母兄弟でもあり、そこで殺しはせぬが、死ぬまで幽閉し、他人と語ること
 を厳重に禁じたという理屈。


ルイ・ド・カヴォワの肖像

 そして仮面の必然性は、問題児ユスターシュ本人の肖像画は残っていないが、弟ルイ(余談1)
 の肖像画が残っており、それがルイ十四世に似ている点(確かに似てはいる)から、この問題
 児も顔は随分と似ていたことだろうと推察し、そこに仮面の必然性を求めようとする。

 しかしトンプソン自身、他の説を攻撃するとき、例えば、モンマス公爵説やベリック公爵説を
 否定するときに、「そもそも彼らに仮面をつけさせる必要はないではないか」と言っているの
 だ。同じ両親から産まれた兄弟であっても、それほど顔が酷似してはいないものだ。ましてや
 異母兄弟が、仮面で隠さねばならぬほどに瓜二つとは考えられない。

Duke of Monmouth Duke of Berwick
                  
  それに、もっとも人目を集める宮廷という環境の中で長年さらしていたその顔を今さらながら
 隠しても手遅れではないか。トンプソンの、つまりパニョルの空想を批判したトンプソンの、これ
 また作家顔負けの空想も、小説としては実に面白そうだが、好評を博した著作を否定すること
 によって便乗人気を狙っているのか、やや自説に強引さが感じられる。

  どうして、この不可解な歴史の謎で、もっとも重要で見逃せぬ部分である「仮面」の必要性が
 疎んじられてしまうのか? 隠さねばならない顔、つまり誰でも、田舎の百姓たちですら、見れ
 ば分かってしまうであろう顔、テレビも写真もない当時、そんな有名な顔をもつ人物とは誰なの
 か? それはただ一人、国王である。

   国王ルイ14世  

 つまり仮面の中に隠された顔とは、誰もが国王だと分かる顔、通常の兄弟のように似ている
 程度の問題ではなく、そのままの顔をもつ人物・・・双子の片割れだ。

 しかし、王妃の出産には宮廷の人々が立ち会う定め、双子が産まれれば、誰もがそれを確
 認してしまう。しかし、アンヌ王妃の出産の儀は、妙にそそくさと行われ、てっとり早かった記録
 がある。なぜか? 双子の片割れ、つまり兄の方が出てくる前に、人払いをしなければならな
 いから。

ヴェルサイユの大宮殿

 そして産まれた子は、先に出た弟と、昼と夜のように、輝く栄光と暗黒の世界に分かれた人
 生を送っていく。

 
鉄仮面は最後はバスティーユ牢で死んだ......


 一人の司令官が長年に渡り専任としてその囚人の監視に当たり、その一族は破格の出世を
 遂げた。莫大な費用をかけて、その囚人は管理され、養われていった。国務長官がその囚人
 の前では起立の姿勢のままであったという信憑性の高い証言すらある。その他の、細々した
 奇妙な矛盾点の数々が、こう結論づけることによって、気持ち良いくらいに筋が通ってくるので
 ある。


専任のサン・マール司令官(余談2).......................................政府の高官ですら丁重な態度



Marquis de Louvois Francois-Michel le Tellier


 国務長官ルーヴォワ。様々な偽装文書を残したが、最後は自らも毒殺された・・・・

 悲しく、恐ろしい話であるが、三百年も過ぎてしまえば、面白そうな話になる。そんな面白い結
 論こそ、膨大な古文書を調査したり、当時の大臣たちが作為的に残した偽の機密文書に惑わ
 されたり、こまごまとした時代考証の確認作業したりの苦難の末には、まさしく望ましいというも
 のだ。


 真実はひとつであるが、必ず、何かが隠されていた。謎解きの楽しみに過ぎて、空想じみた
 結論を出すことも、また、学者の厳格さに過ぎて、これをわざわざつまらないものとして片付け
 てしまうのも、ともに「真実探求」としては誤りである。


 しかし、もしかしたら真実そのものが小説的かも知れない事柄を、小難しい学術論文の中
 で、故意に無味乾燥な仮定の中で結論づけてしまうことは、まさしく、真実に鉄の仮面をかぶせ
 てしまうに等しいのである。








余談コーナー

(余談1)
 カヴォワ侯爵ルイ・ドージェ・ド・カヴォワLouis Dauger de Cavoye, marquis de Cavoye(1639-
 1716)。リシュリュー宰相の護衛士隊長のフランソワ・ドージェ・ド・カヴォワ(1641戦死)の五男だ
 が、長男ピエールはフランス衛兵隊の旗手としてランスで戦死、次男シャルルも同じくフランス
 衛兵隊旗手でアラスの戦で戦死、三男アルマンもこれまた同衛兵隊の旗手としてリールの戦で
 戦死、四男のユスターシュは例の問題児で廃嫡、そこで五男なのに家長となった。

 国王の信任厚く、家柄の割には栄進、コエトロゴン侯爵の娘ルイーズ・フィリップLouise
 Philippe de Coetlogon (1641-1729)と1677年結婚し、カヴォワ侯爵位を授かり、grand-
 marechal-des-logis de la maison du roiの栄職につく。実在のダルタニャンからも「宮廷では珍
 しい正直な男」と高評価で、「回想録」で有名な辛辣なサン・シモン公からも評価は良い人物。

 Louise Philippe de Coetlogon (eの上にトレマあり)

 この人は実は、1668年から2年間、コンシェルジュリーに投獄されている。その理由は、砲兵
 中将クールセル侯爵Charles de Champlais, marquis de Courcellesとの決闘である。貴族間の
 決闘は個人的な名誉の問題で、躊躇うことなく行われたものだが、法的には御法度であった。

 この決闘で双方、怪我はなかったものの、クールセル侯もバスティーユに投獄されている。
 そもそも決闘の理由は、クールセル侯爵夫人マリー・シドニア・ド・レノンクールが、マザラン
 公爵夫人オルタンス・マンシニとレズビアンだという噂について口論となったとか、この人自身
 が美貌で名高い侯爵夫人と噂が立っていて悶着になったとか。

 Marie-Sidonia de Lenoncourt (eにアクサンテギュあり)

 余談の主題はこのクールセル侯爵夫人だが、兄の死でマロール侯爵家の相続人として世に
 出るが、ともかく自由主義者で、かなり奔放な人生を送っている。自ら「回想録」を発行してい
 て、その束縛されない生き方が後世に如実に伝わっているが、そもそも夫のクールセル侯爵
 など政略結婚の相手など受け入れていない。初夜に喧嘩してそれっきりだ。

 以降は自由恋愛を謳歌するが、夫によりサント・マリー女子修道院に監禁されてしまう。そこ
 で、下のオルタンス・マンシニと出会い、2人の同性間の恋愛関係は事実であったようだ。

            
Armand Charles de La Porte de La Meilleraye         Hortense Mancini

 では、どうしてこのマザラン宰相の姪であり美貌で名高いオルタンス・マンシニがそんな女子
 修道院なんかにいたかと言えば、彼女もまた偏執的で嫉妬深い夫ラ・メイユレイ侯爵(オルタン
 スとの結婚でマザラン公爵となった)から逃げ出したので、夫によりここに軟禁されていたの
 だ。こちらの事情も大いに似ているわけだ。またオルタンスも、夫からの逃避行でそのままイギ
 リスへ亡命し、英国王チャールズ2世の愛妾となったり波乱万丈の人生が待っている女性。2
 人して修道院なんぞから脱出してしまう。(オルタンスもまたその冒険人生を回想録にしている)

 クールセル侯爵夫人のマリー・シドニアの方は、1678年に夫が死去するが、それ以前も以降
 も色々と御盛んで、系図にすらMarie avec××(誰某と結婚)の他に何人もRelation avec××
 (誰某と関係)というのが割って入っている。

 中でも本編の重要人物であるあの国務長官ルーヴォワ侯や夫の従兄弟ヴィルロワ公などひ
 ときわ目立つ相手がいる。

しかし、興味深いのは、オルタンスが英国王やサヴォワ公やモナコ大公などという大物と浮名
 を流すのに比較し、彼女は、無名人が多い。1668年のジャック・ド・ロスタンJacques de
 Rostaing de La Ferriereとは流産したが子まで作り、それが発覚して夫から修道院に閉じ込め
 られたわけだが、ロスタン氏は大尉・補佐官だ。(つまり、こんな貧弱なデータしかないほどの貴
 族)1670年の相手はフランソワ・ブリュラールFrancois Brulart, seigneur d'Opsonville et du
 Boulay、オルレアン公の侍従で、オルレアン連隊の大尉だ。仕舞には1685年1月にジャック・
 ド・ゴールティエ・ド・シフルヴィルJacques de Gaultier de Chiffreville, seigneur de Montreuil et
 de Tilleulという王妃竜騎兵連隊の大尉と結婚までしているのだ。

 男を社会的地位ではなく、純粋にハートで選んでいたのだろう。

 ただ、哀しいかな、その年の暮れの12月、彼女は35歳で亡くなる。最終章まで波乱万丈だっ
 たようだ。

(余談2)
 Benigne Dauvergne de Saint-Mars

 このサン・マール司令官はBenigne Dauvergne de Saint-Mars(1626-1708)。父親ルイ・ドーヴ
ェルニュは王室食糧庫係の貴族だったが、彼は1650年に近衛銃士隊第一中隊員となり、あの
ダルタニャンのもと1660年銃士隊伍長、64年に軍曹となり、大蔵大臣フーケの逮捕にもダルタ
ニャンの補佐をした。その功を買われ、ダルタニャン推挙のもとフーケ大臣を投獄するピニュ
ロル収容所の所長に任命されている(64年)。

 それが皮切りに、サン・マールは収容所長としての能力を高く評価され、この鉄仮面という謎
だがともかく最重要人物の監視役に専従すること34年間、エグジィルやサント・マルグリット、最
終的にはパリのバスティーユ長官として亡くなるまで継続勤務するのだ。休暇をとったのも1682
年と85年に数日のみ。82歳の長寿は全うしたが、厳格な管理体制と秘密保持の姿勢を評価さ
れて支払われた高額の俸給も、ついに活用することもなく「仕事人」として人生を終えた。

 サン・マールはマリー・アントワネット・コローMarie Antoinette Collotとピニュロル所長時代に
結婚しているが、この人の姉マリー・コローは1673年王妃の寝室係侍女になっており、軍事首
席官フレズノワと結婚しているが、実は国務大臣ルーヴォワの愛人。余談1でもこの鉄仮面の
秘密での重要人物であるルーヴォワ大臣の愛人関係が取り沙汰されているが、ここでもまた
そんな記録に出くわす。お気楽なものである。

 サン・マールの出世に関しては、この義姉(義妹ともある)による引きはないと思われる。あくま
で、サン・マール氏の実直な勤務姿勢のおかげだ。

 彼には二人の息子がいた。ベニーニュ・アントワーヌ(1672-93)とアンドレ・アントナン(1679-
1703)である。名付け親がルーヴォワ大臣だった長男はフランスが英蘭同盟軍に勝利したネー
ルウィンデンの戦いで戦死している。未婚。
 また次男は1703年、やはりフランスが神聖ローマ帝国軍に勝利したシュパイアーバハの戦い
で戦死。次男は王室首席式部官のデ・グランジュの娘と結婚はしていたが、子はなし。兄弟そ
ろって、フランス勝利の栄光の陰で若くして戦死という儚さ。

 サン・マール氏の莫大な財産は、親戚たちへ渡り、家は絶えた。謹厳実直に任務を全うした
男の、ちょっと哀しい人生である。

 
L’ile Sainte-Marguerite

 また、こんな話もある。サン・マール氏と不詳の女性との娘イザベル・マルト・バイイ・ド・サン・
マール・ド・ラ・ブリュイエール・ド・ラ・クロワIsabelle Marthe Baillis de Saint Mars de la Bruyere
de La croix(1672生)が、サント・マルグリット所長時代に、なんと鉄仮面と結婚しているというお
話。すでに仮面の囚人はルイ14世の兄弟としての前提で、1696年に生まれた子はルイ・ド・ヴ
ァロワで、その後も子々孫々と・・・。このお話に関しての詳細は不明。




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